同人文化講究 (es sphere 2nd season)

同人文化の潮流と即売会での実践についての思索

表現規制の4つのパターン

Twitterでの話を元に、少し思索を整理したので覚書的に。表現規制についての文脈では、時にレイヤーの違う話が混同されがちである。もちろん、これは同人誌における性的表現に対する規制に限らず、昨今議論が賑やかだった『笑ってはいけない』の黒人メイクや、ベッキータイキックといった議論も、ある程度整理できるとは思う。

現時点での整理としては、表現に対する規制、というか制約要件には以下の4パターンがあると考えている。

  1. 法令、もしくはそれに対する判例
  2. プラットフォームが策定したルール
  3. 1や2のルールが曖昧なことによる自粛・萎縮
  4. 社会やPF上の同調圧力による自粛・萎縮 

1については法令の専門家にお任せするとして、最近の大きな問題は強い「2」(PF上のルール)が、実質的に「1」(法令)のように振る舞ってしまうことである。一例として、性的表現に関しては、各流通プラットフォームがその取扱に関して、

  • わいせつとは性器の露骨な描写とし、修正は商業誌に準じる (コミケットにおける「わいせつ」について、刑法175条を解釈したルール)
  • 東京都から連続3回、1年間に5回不健全指定を受けた雑誌は、書店から申込がない限り送本しない (青少年健全育成条例に基づく、出版倫理協議会の自主規制)

などと定めたルールが、元から存在していた。しかし、独占/寡占的なデジタルプラットフォームの出現に伴い、個別企業による恣意的なルールの運用が、実質的に表現の生殺を定める状況が起こりつつある。Amazonにおける『コミックLO』の取扱中止や、Twitterの同誌アカウント凍結等が一例である。特に巨大なプラットフォームは、社会的責任の名の下に、ノイジーマイノリティな方々の抗議の影響を受けやすい。

児童ポルノのように人権侵害がある場合はともかく、その他ほとんどの表現においては「見たくない」という要望と、「存在してほしくない」というエゴを、冷静に切り分けるべきである。わざわざ自分から探しに行かなければ、目に入ることもない。しかし、デジタルプラットフォームは、全ての表現を自分の隣に置いてしまう。それがゆえに、抗議をよりヒステリックにしている側面もある気がする。

そういう意味では、同人誌即売会という小規模分散かつアナログな流通って、ビジネス的には時代遅れっぽく見えるかもしれないけど、表現を守るという観点では、社会的に大きな意味があると思っている。

 

【予告1】

多くの議論においては1と2すら明確に区別されていなくて、コミケットの前になると「知り合いのスタッフに聞いた今回の修正基準」なるイラスト等が出回っているが、実はコミケットが基準を明確に示さない理由は、コミケット91のアフターレポートに書かれていたりする。このあたりについて、しっかりと読み込んでいきたい。

 

【予告2】

 4の同調圧力が色濃く出たのが、2017年8月ごろにあった真木よう子さんのクラウドファンディングによるコミケット93への参加についての論争であった。

コミケットというプラットフォームの境界条件は、最小限のルールと参加者同士が暗黙に作り上げてきたマナーやモラルによって構成されている。理想的には場が掲げる「理念」に則さないマナー・モラルや、それに基づく同調圧力は消えていくはずであるが、最終的には参加取り下げという形となってしまった。このあたりの要因についても、論じてみたい。